「馬には乗ってみよ、
人には添うてみよ」

このことわざは
「物事は実際に経験して
みないとわからない」という
意味だそうです。
保護猫を譲り受けてから
9か月。
「なるほどな~。」と
このことわざの
言わんとすることに
深く納得しています。

なにせ
私が猫と暮らすまでの道のりは
長かった。
幼い頃から生き物が好きで
犬、ニワトリ、小鳥、
カブト虫、鈴虫、
カエルなどなど多種多様な
生き物を飼ってきました。
でも、猫はいない。なぜか。
それは
母が鉄壁の猫嫌いだったからに
他ならず、
現に私は捨て猫を2回拾って
飼おうとしたことが
あるのです。しかし母の
ガードは固く、絶対に
許されることは
ありませんでした。

「学習性無力感」という現象が
あるそうです。

抵抗や回避の困難なストレスと
抑圧の下に置かれた犬は、
その状況から「何をしても
意味がない」ということを
学習し、
逃れようとする努力すら
行わなくなる
というものである。
(Wikipediaより引用)

まさしくこの「学習性無力感」に
より、私は猫を飼うことを
諦めていました。

そして
母のディフェンスを崩すことが
できなかっただけではなく、
幼い私がトラウマを受ける
猫に関わる
ショッキングな出来事も
起きたのです。

(注意:ここから
少々ホラーです。苦手な方は、
読み飛ばして下さい。)

当時、親にねだり
ニワトリを2羽
飼っていました。
庭に鶏小屋を作ってもらい
時々
外に出して遊ばせていました。
その日も世話をしようと
庭に出て小屋を見ると
ニワトリの姿がない。
慌てて庭中を探し回ると
裏庭におびただしい数の羽が
散っていました。
嫌な予感を抱えつつ
さらに探すとそこには
ニワトリの首だけが2つ
落ちていたのです。

親が言うには
猫の仕業だろうと。
その言葉を聞いた瞬間に
猫に対する怒りと怖れが
私に深く刷り込まれました。

そんなこんなの経験を
重ねつつ
大人になったわけですが、
生き物好きは相変わらず、
5~6年前までは
犬と小鳥を飼っていました。
そして長くつき合った犬とも
小鳥とも別れ、
仕方のないこととはいえ
それでも
後悔ばかりに苛まれた私は
もう、ペットは飼わないと
強く心に決めていたのです。

そんな折、
知り合いが
11匹の猫を保護したと知り、
閉じ込めていた
生き物好きの魂が動き出して
しまったのですね。(笑)

愛猫を
我が家に迎え入れてからは
もう、必死です。
犬は何匹も飼い続けた分
慣れていたけれど
どうやら猫は勝手が違うらしく
暗中模索、悪戦苦闘の毎日。

そして
ある日ふと気付きました。
私の中に少し猫に対する
恐怖心があることを。
抱っこしていても、
撫でていても、
100パーセント中
数パーセント、拭えない何かが
ある。
それが何かは明白です。
ニワトリ事件のトラウマ
なのですね。
心のどこかに苦手意識が
あるのです。
もちろん
ニワトリを襲った猫とは
まったく関係ないのですが。

ただ、そのトラウマも
猫と日々を過ごす中で
氷解しつつあります。
私が抱いていた猫に対する
イメージには、バイアスが
かかっていました。
トラウマの影響もあり
攻撃的かつ冷血なのではと
勝手に思っていましたが、
まったく違っていました。
私が疲れていたり、
心がささくれていても、(笑)
その存在だけで
不思議と癒される。
側にいるだけで
肩の力が抜けていく。
それは猫が
とても優しく、愛情深い
からではないでしょうか。
無表情な分、こちらを
じっと受け止めてくれる
深さを感じます。
これは
一緒に暮らしてみなければ
分からなかったことです。
猫それぞれ、
個体差があるとしてもきっと
人の情緒に働きかける何かを
持っていて、だからこそ
世界中の多くの人に
愛され続けているのだろうな、
と思います。

縁あって猫を知ることが
できてよかった。
まさに
「馬には乗ってみよ、
人には添うてみよ」。
いや、
猫には添うてみよ、ですね。

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投稿者について

柔道整復師&パーソナルトレーナー&フィットネスインストラクターです。筋肉、骨、関節を中心に健康に関する情報をあれこれ、読書好きなのでお勧めの本を紹介したり、韓流ドラマ好きなので感動したら思わず感想を書いてしまうこともあるかもしれません。どうぞよろしくお願いします。

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