私は現在、
「トータルコンディショニング
ジム」なるものを運営していま
して、ジムの会員の方々から
いろいろな話を伺う機会が多く
あります。
軽い雑談から、
もちろんからだの悩みまで。
その都度、私の失言によって
相手を傷つけることの
ないように、できるだけ
気をつけてはいます。
それでも仕事の後に、
「あの言い方は誤解されたかも」
「変な空気になってしまった」
「内心怒っているかもしれない」
とグズグズ悩むこともしばしば。
つい最近も
ショッキングな出来事があり
(仕事の場ではないのですが)
深く内省し、
傲慢な自分に気付いたばかり。
原因はおそらく職業柄。
柔道整復師としてもトレーナー
、インストラクターとしても
自信なさげに言葉を濁す
分けにはいかず、断定的な
もの言いが日常的になって
いるのです。その言葉使いに
思考や行動が追い付いてしまい
どうやら今の私が
形成されてしまったかと。
そこに気付いて
「よし、変わろう。」と
決意してもそんなにすぐには
変わらないもので。
人間だもの。
そして今日の出来事。
ジムで行われているヨガに
長年参加してくれている
高齢の女性に
「辞めようかと悩んでいる。」
と言われました。
その方の話では、知り合いに
「いい歳をして、ヨガなんて
やっているの!?」と言われた
ことで悩んでいると。
それを聞いた私はとっさに
「妬みですよ。」
「年齢は関係ない。」
「もったいない。」と
一方的な持論を
返してしまいました。
相手はまったく納得する様子も
なく、私もその後
モヤモヤしたままでいました。
その時点では
私自身の受け答えの拙さと、
長い年月、伝えてきたつもりの
“物事をふんわり受け止める”
ヨガ的な思考が相手にまったく
届いていなかったという
無力感がモヤモヤの原因と思い
その気持ちを思わず
ヨガの師匠に相談メールとして
送りました。師匠からすれば
忙しい中いい迷惑です。(笑)
程なくして返信があり読むと
「相手の気持ちに寄り添う」
といった趣旨の言葉が
書かれていました。
まさに、その通りです。
一瞬で、腑に落ちました。
私は寄り添えていなかった。
知り合いが言ったという
否定的な言葉に
内心腹を立て、感情的になって
いたのだと思います。
もしかしたら
問題は”知り合いの言葉”
ではなく、その方の本音に
あったのではないだろうか。
その本音に耳を傾けることが
必要だったのではないかと
今さらながら気付いたのです。
例えば
否定されて辛い気持ち、不安な
気持ち、それをジャッジされる
よりも理解されたかったのかも
しれない。
実は他人の言葉はきっかけに
過ぎず、本人がヨガに対して
後ろ向きになっていて
それを伝えたかったのかも
しれない。
私が正しいと思っている結論を
ぶつけるのではなく
まずは相手の言い分に
耳を傾ければよかった。
でも、
それには余裕が必要なのです。
時間に追われる毎日では
人の言い分を汲み取ることも、
想いに寄り添うことも、
なかなか難しい。
もし、”想い”に寄り添えたなら
私の受け答えはぜんぜん
違うものに
なっていたでしょう。
しっかり”想い”を
聴いてもらえた実感があれば
その方も
ひとまず安心できたはず。
未熟です。
最近の世間の出来事や、
身近な出来事を受け、
思うのです。
ひとりの人間に
たった一人でいいから
充分に話を聞いてくれて、
想いに寄り添ってくれる相手が
いれば、それだけで幸せだし
満たされる。
満たされた人は同じように
誰かに寄り添えるから
すごく温かい連鎖が
起きるのではないかと。
あまりに短絡的な発想だけれど
そうなればいいな、と。
そう言いながら
自分が連鎖を空手チョップで
ブチ切っているという
おそまつ。
まだまだ修行が足りません。