いつからでしょうか?
「食べること」に罪悪感が
伴なうようになったのは。
そして
私だけでしょうか?

「食べる」というのは
生命活動の基本で
重要なことだし、
また
楽しいことのはずなのに。

私が幼い頃、
時代背景もあり
また我家が裕福ではなかった
こともあって
食べたい時に食べたい物を
食べたいだけ食べられるなんて
ありえなかったのです。
そのため
いつもお腹を空かせていて
口に入るものなら何でも食べる
という勢いでした。

覚えているのは
庭で一人、
泥遊びをしていた時。
泥団子を作っていたら
それが
とても美味しそうに見えて
思わず「パクッ」と。
はっと我に返った時には
口の中が泥でいっぱいに
なっていました。

またある時、
おやつにもらった
ソーダアイスを食べていたら
兄がやってきて
「ちょっとちょうだい。」
と言うのです。
(もう、フラグが
立っていますよね。笑)
私は手に持っていた
アイスバーを兄に
差し出しました。
すると
「パックゥ~ッッ!」と
大きな口で半分以上
持って行ってしまったのです。
あの時のショック。
いまだに
鮮明に覚えています。

それ程までに
「食べる」ことに貪欲、
執着していたのに。
もちろん
今も大好きで
楽しみなのだけれど
何となくモヤッとした感情が
伴なうのです。

それは
“カロリー”だったり
“糖分””脂肪分”だったり。
「あー、おいしい。
でも、太るかもな。」とか
「血糖値あがるよな。」とか。

健康情報に
どっぷり漬かり過ぎて
頭でっかちになり
100%楽しめなくなっている。
その結果
せっかく
美味しいものを食べていても
セーブしたり、
逆にセーブできずに
食べ過ぎれば
罪悪感に打ちのめされたり。

原因は
ダイエットが文化として
定着したことが
ひとつかと思います。
最近は
ぽっちゃりしたタレントの
活躍もあって
少し緩和された感もありますが
それでも
太っていることは悪で
痩せていることが美という
風潮が根強いように感じます。

確かに
太り過ぎは病気の元です。
とはいえ
痩せすぎも決して
健康的ではないわけで。
むしろ
無理に体型をコントロールする
のではなく
おいしく食べ
活発に活動し
よく眠るという
生活のプロセスにのみ
焦点をあて
その結果としての
体型を受け入れる方が
幸せなのではないかと
思うのです。

ダイエット。
「生き方」
「生活習慣」
「食事療法」
を意味するギリシャ語を
起源とする。(Wikipediaより)

まずは
自分が充実感、
満足感を得られる生活をし
その結果としての体型を
すんなり受け入れる。
それが
ダイエット。
これでいいのだ。
(byバカボンのパパ 笑)



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投稿者について

柔道整復師&パーソナルトレーナー&フィットネスインストラクターです。筋肉、骨、関節を中心に健康に関する情報をあれこれ、読書好きなのでお勧めの本を紹介したり、韓流ドラマ好きなので感動したら思わず感想を書いてしまうこともあるかもしれません。どうぞよろしくお願いします。

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