芥川龍之介の「桃太郎」を
読みました。
昔話桃太郎のパロディーです。

昔話の桃太郎は日本人の
ほとんどが知っている
のではないでしょうか。

おばあさんが川で洗濯を
していると大きな桃が
どんぶらこっこどんぶらこと
流れてきて、
おじいさんとおばあさんが
その桃を割ってみると
元気な男の赤ちゃんが
オギャーッと生まれるという
ツッコミどころ満載の序盤。
そして成長した桃太郎は
村人を困らせる鬼たちを退治
するために、犬、猿、雉に
黍団子を与え、それと引換に
鬼退治に帯同させるという
パワハラ臭漂う行動に
出ます。結果、鬼を退治し
堂々と凱旋するという
サクセスストーリーなのです。

さて、この物語を
芥川龍之介は
どう料理したのでしょうか。
それがなんと
「ブラック桃太郎」なのです。
(ほぼネタバレです。
本を読む予定の方は太字部分を
とばしてください。)

桃太郎が鬼退治に向かうのは
山や川で働きたくないから。
おじいさんおばあさんも
そんな桃太郎に愛想をつかし
出ていくことを望んで
いるのです。

家来になる犬、猿、雉も腹黒く
エゴイスティック。
一方、鬼ヶ島の鬼たちは
満ち足りた環境で穏やかに

平和な日々を
過ごしていたのです。
それなのに、桃太郎軍団に
奇襲をかけられ悲惨なことに。
その不条理を
恨みに思った鬼たちは
復讐を企てる‥‥。


こんな物語を幼稚園の園児に
読み聞かせたら
トラウマものです。
でも実は私、
幼い頃に読み聞かされた
勧善懲悪な桃太郎の話に
違和感を覚えていたのです。
いくら悪さをしたとはいえ
鬼も可哀そうだし
正義の押し付けのような
胡散臭さを感じていました。
なので今、
芥川龍之介バージョンを読み
ちょっとスッとしたような
ホッとしたような気持ちです。

さて、なぜ唐突に
芥川バージョンの桃太郎を
読んだのかというと、
心理カウンセラーである
野口嘉則さんのYouTubeで
紹介されていたからです。
そこでは「真実はひとつでは
なく、同じ出来事も受け取り方
で人それぞれ違う。」(視聴
から時間が経ち記憶が曖昧
ですが、だいたいこのような
ことを言っていたと
思います。)ということの
一例としてこの本が
あげられていました。

確かに、昔話の桃太郎では
鬼は完全に悪者ですが、
ひとたび鬼の立場に立ち
その目で見れば
物語は全く違うものに
なるはずです。
だいたい一人の人間の内側にも
正しさもあれば、
やましさもあるのが当然
ですよね。それのどこに
スポットライトを当てるのかで
人間関係も変わってくる。
「この人は100%いい人だ!」
もなければ、
「これが絶対正しい!」
もない。
一人ひとりのストーリーの中に
真実があって
全世界全人類共通の真実なんて
ないのですよね。

ものごとを
多面的に、多角的に見ること。
相手の真実を理解する努力を
すること。
画一的な教育を受けてきた世代
であり、また勧善懲悪、正義、
根性、努力、あきらめない心が
美徳と叩き込まれた世代である
私には、なかなか難しい
ミッションだけれど
少しでも脳の柔軟性を
養いたいものです。

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投稿者について

柔道整復師&パーソナルトレーナー&フィットネスインストラクターです。筋肉、骨、関節を中心に健康に関する情報をあれこれ、読書好きなのでお勧めの本を紹介したり、韓流ドラマ好きなので感動したら思わず感想を書いてしまうこともあるかもしれません。どうぞよろしくお願いします。

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